宇佐神宮の仲秋祭と百体神社との関わりを体験。元祖放生会は、宇佐の地からだった!

宇佐神宮 仲秋祭

大元神社にお参りしたあと、物足りなくなり百体神社、凶首塚、化粧井戸を回って見ようという気になり宇佐神宮へ出かけて行きました。なぜそんな気分になったのか今考えても不思議なのですが八幡神の導きなのか、3女神の導きなのでしょうか・・・。

まさかその日が、放生会の最終日であり百体神社に関わることであろうとはこの時は夢にも思いませんでした。そんな日の出来事(2016年10月10日)を書いて見ます。いつも通り写真多めです。

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百体神社を求めて彷徨い歩くが見つからず

百体神社という珍しい名前の神社の写真を撮りたくて、うろ覚えで宇佐小学校付近を歩くのですがなかなか見つかりませんでした。googlemapでも見つからないので足で歩いて探すことにしたのですが、今更ながら、地元の人に聞けばもっと早く見つけることができたと思います。

ですが今日に限って誰も歩いていません。ちょっと奇妙な感じでした。

放生会の最終日であることを掲示板で知る

稲荷神社の前の掲示板を見ると、今日が仲秋祭(放生会)の最終日であることを偶然知りました。以前から放生会には関心があったのですが、まさかこの時期だとは思いもしなかったのです。

時間は、17時くらいからみたいなことを書いていました。この時まだ15時くらいだったので、ちょっと早すぎたので来年ゆっくり見ればいいやぐらいの気持ちでした。

結果的には、がっつり見ることになります・・・

気を取り直して、勅使街道を歩いてみる

勅使街道

勅使街道

肝心の百体神社が見つからないので、宇佐神宮から歩いて探そうと思いました。呉の時代の渡来人がかけたと言われる呉橋の横の神橋をわたり勅使街道を歩いてみます。

するとしめ縄に書道の紙で作ったひらひらである紙垂(しで)がなんとも情緒のある風景をかもし出していました。・・・それにしても人が全然歩いていない・・・。放生会なのでどこかに固まっているのでしょう。

途中に大善寺の看板に百体神社の文字を発見。どうやらすぐ近くのようです。程なくして宇佐市観光協会が建てた地図を発見しました。

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クリックしたら大きく見ることができます。

百体神社を発見

百体神社

勅使道をそのまま直進して10号線を渡り直進すると百体神社を見つけることができました。記念に写真を撮りたかったのですが、地元民らしい人がいてちょっと撮りづらい雰囲気でしたので、近くにあるはずの凶首塚に向かってみました。

凶首塚古墳を訪れて

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百体神社から50mぐらい離れたところに凶首塚がありました。古墳と言う割にはかなり小さい大きさです。田んぼの中にひっそりとあるのが不思議な感じですね。

この凶首塚古墳は、なんでも720年ごろ大隅・日向を征伐した際に100人分の首を持って帰って葬ったあとだとか。そんな言い伝えがあるのですが、実際は違うようです。あとであったガイドさんによれば、100人大夫を連れて帰ったことという説もあるらしいです。

ちなみに、この辺の土地は、百大夫というのだとか。実に興味深い話です。

凶首塚古墳

化粧井戸

化粧井戸

凶首塚古墳からさらに50m勅使道を行くと、化粧井戸と呼ばれる古い井戸が3つほどありました。この勅使道をどれだけ昔にどれだけの人が行き交っていたのかと思うと感慨深いものがあります。

百体神社の前に人だかりが・・・

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やっぱり百体神社の写真を撮りたくて、鳥居の前に来てみました。思い切って、地元民の方に聞いて見るとここに神輿が来るとのこと。それも放生会のクライマックスでもあり久々に宮司が神輿に乗るのだそうです。

久々・・・?どうも宇佐神宮騒動のことでしょう。詳しくは宇佐神宮のwikiを参考にしてみてください。

なんとも偶然にも、仲秋祭のクライマックスの地が、百体神社だったわけです。これも大元神社に参ったせいでしょうか・・・。

全国の放生会の元は、宇佐神宮だった

現在放生会は、全国的にありますが一番最初の放生会は、宇佐神宮でした。それも百体社で隼人の霊を沈めるための祭礼だったのです。神仏習合発祥の地として象徴的な祭礼なのだなと感じざるを得ませんでした。

宮司が百体神社から神輿に乗って移動

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百体神社から宮司さんが神輿に乗って、上宮を目指して行くわけですが、この風景がなんとも雅な感じです。写真を見ればわかると思いますが、威勢のいい男たちに担がれた神輿と烏帽子の宮司さんの行列がなんとも言えませんでした。

紙橋を渡る写真に悠久の時代を感じますね。

仲秋祭の最後

宇佐鳥居の一つ手前の鳥居で、神輿をおろして宮司さんは降ります。しかしここからがクライマックスのようで、神輿を担いだ男衆が上宮に向かう石段を駆け上がって行きました。

そして、本殿に神輿を入れて仲秋祭は、終わりを告げたのです。本殿の中には、一般の客が入れないように警備の方が立ちはだかっていました。

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ちなみに、この神輿の担ぎ手は、和間地区の人と神輿担ごう会で行われているとのことです。

百体神社の写真を撮りに行ったら、偶然放生会の最終日でもあり百体神社がキーになっているというなんとも偶然な巡り合わせの一日でした。

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